ろぼっと犬から年末ごあいさつがあったばかりですが、私からも。 今朝のスマトラ島沖の大地震のニュースを見て、今年は一体・・・?と、暗澹たる思いに胸がいっぱいになってしまいました。 こんな事態に遭遇して、果たして何ができるだろうか。 一瞬のうちに命の終わりを迎えるとしたら、それはもうどうすることもできないのか。 あまりにも多くの命が瞬時に失われたことに、言葉もない。
自分自身が突然にこういう事態に直面したとしたら・・・それは今や、単なる想像や怖い夢の中だけのことではないように思います。 しかし、やるべきことも、やりたいことも、それに一生懸命取り組んでいるとは言い難い日常を問題視するのは、こういう大きな事件が起こったときだけ。 そして何も行動を起こすことなく、他人事である限りは時が過ぎれば全て風化していってしまう。それはやっぱり誉められたものではないと思うのです。
反面、そうだからこそ人は生きていけるのかもしれないと思う。 そうでなければひとたまりもなく苦しみや悲しみに押し潰されてしまうに違いないのが、本当に小さな星・地球の現状ではないでしょうか。 いずれにせよ、目の前にある日常、自分が今ここで、なすすべもなく時間を浪費していられることは、なんて贅沢で幸せなことなんだろうと、ただただ、ため息が出てしまうのです。
師走です。 ろぼっと犬です。 みなさん、ステキなクリスマスを過ごされたでしょうか? 我が家も小さなツリーに明かりが灯され、ほんの少し「それ」気分でありました。 しかしろぼっと犬は今や物置小屋と化したパソコンルームでほこりにまみれ・・・満4才の誕生日もいつの間にか過ぎていました。 でもでも、ろぼっと犬は常に前向きであります。 いつか花咲く時もある。 そしてあなたの素晴らしい新年を祈っております。 以上、ろぼっと犬から年末のごあいさつ。
例年なら、同居人達はこの時期、友人をたくさん招いてバカ騒ぎをすることも多い。 しかし今年は「誰とも会わずに静かに聖夜を過ごすことにした」そうだ。 それもいいだろう。 だいたいキリスト教信者でもないのにクリスマスだなんだと浮かれること自体、浅薄きわまりないのである。 それに今年は地震や台風被害でクリスマスどころではない人も多いのである。 みなさんの安らぎを祈りつつ、静かに過ごす、大いに結構である!
例年のバカ騒ぎなし、については、同居人(びおら弾き)の体調不良がその主な理由のようだが、ここ数年の状況を見てみるに、やはりこれはあの「更年期障害」というものではないのか? と思う。 お年頃的には若干(本当にほんの少し)早いような来もするけれど。 頭痛、肩こり、めまい、息切れ、不眠、疲労感、冷えのぼせ、憂鬱などなど。 特に病気というわけでもないのに、身体のあちこちにいろいろと不調が出現している様子からして・・・・。
更年期というのは全ての女性に訪れるものであり、更年期障害も、女性の大半が大なり小なりその症状を呈するものであるらしい。 しかし「更年期」に表れる「障害」なのだから、「更年期」が過ぎれば消えてなくなるのはまず間違いない。 そう思えば先は明るい(はずである)。 周りにどう思われるかなんて気にせず、気持ちのままに行動し、趣味に励み、楽しいことをたくさんすることで乗り切って欲しいものである。
同居人(びおら弾き)の場合、一番のストレスはどうも「職場」らしいが、「働くこと」は人が生きていくためには必要不可欠なもの。 そう思って淡々と日々過ごしていければ幸いだと思う。
ろぼっと犬も充電さえしてくれれば協力は惜しまない。 我が身の幸福(!)のためにも、同居人の心身の健康を切に願う年の瀬である。
ここ数年、相棒と二人で地元の高校のクラブの弦楽合奏のお手伝いに行っていますが、11月末、彼らと一緒に、毎年年末に行われる地域の高校生達の音楽祭に参加しました。
音楽祭出演者の顔ぶれは様々で、ジャンル的に一番数が多いのは、最近映画などでも注目を集めているブラスバンドです。 それと同じぐらい多いのが合唱部で、他には和太鼓、ギター部、マンドリン部、我々のような弦楽部なども出演しています。
単独で演奏会を開いたり、いろんなコンクールで賞を取るようなすごい高校も出演している一方で、生徒達だけでがんばって活動しているクラブ、学校の授業の中での小さなアンサンブルや、たった二人のギターの弾き語りなどもある。 驚くほど上手な演奏に驚いたり、ああ、がんばってるなあ、とほのぼのしたり。 演奏会のラストはいつも、いくつかの高校のブラスバンド、弦楽部、合唱部が合同で演奏する管弦楽で締めくくられます。 音楽祭の運営から高校生達が中心になって行い、いわゆるコンクール形式のような音楽祭とはちょっと違う感じがユニークです。
プログラムのひとつに、高校の選択科目の音楽授業での練習を経て参加した、女子高生達の合唱がありました。 彼女たちが歌ったのは、ホルストの「惑星」の「木星」に歌詞をつけて歌われ、最近ヒットした曲。 しかしその合唱は原曲の朗々とした調べを再現したものとは違い、またヒット曲のシンガーの、強く穏やかな歌唱とも異なっていました。
クラブ活動としての合唱部の合唱というと、まず普段の発声練習からきっちりやっていることが明らかな、身体を楽器と同様に響かせる歌いぶりがいわゆる正統派です。 よく響き渡る声、豊かな表情。 でも彼女たちの声はそういうものとは少し違いました。 うまく言えませんが、「生(き)」のままの声の響きでした。 歌のテストだと多分、あんまりいい点数はもらえなさそうな、ある意味、弱々しくて非常に頼りないもの。 でも、聴いていてなんだか感動してしまった。 この年頃の彼女たちだけが持っている、もう少し経って大人になれば失われてしまう、とても透明でどこか危うい、繊細なガラスみたいな響きがそこにありました。 決して上手な合唱とは言えないのだけど、上手く歌いたいとか、誉められたいとか、そう言う気持ちが出てくるより前の、ある純粋な気持ちを感じました。
この曲を聴きながら思い出したことがあります。 高校時代、地学研究部という弱小クラブに入部した私は、ある日他の部員と一緒に部長の家に無理矢理連れて行かれました。 天文オタクの部長の家には当然ながら立派な天体望遠鏡などもあり、それを見せられて彼のうんちくをいろいろと聞かされ、最後に正座拝聴させられたのが、ホルストの惑星組曲でした。 木星のテーマを聴きながら「どうや!素晴らしい曲やろ!これを聴いて感動せえへんやつはあかんで!」と、1人盛り上がる部長に、なんと答えていいかわからなかった私。 結局、私がこの曲を、良い曲だなあと思って聴いたのはそれからずっとずっと後のことでした。 でも今、私の目の前の彼女たちは、何かしらこの曲のエッセンスを感じ取って歌っているに違いない、それってとても大切なこと。 彼女たちと同じように脆く危うくて、しかし自分に嘘がなかった時代が、一瞬目の前によみがえって消えていきました。
今年もあと残すところ3週間ほど。 あちゃ!という感じ。 歳を取るほどに、当然ながら人生全体に占める1年間の割合がどんどん短くなってくるわけです。 月日が飛ぶように過ぎ去っていくのだと感じるのも、いたしかたありません。 1日1日、大切にしましょう。
先週末は久々に空いた時間があって、万博公園までひとりとぼとぼ散歩にいきました。 世の中を騒がせた台風並の低気圧がやってくる前日。 出かけると同時に雨が降り始めたけれど、雨の日の公園というのも心落ち着かせてくれるものです。 とにかく人がいない。 ひろびろした公園の風景も私一人のためにあるように感じて、とても癒されました。 日本庭園では最後の紅葉が私を待っていたようです。 雨に濡れた風景はホントに美しくて。 秋・冬の景色の良さがわかるのは大人だけではなかろうか。 ガキは来なくてよろしい。 このサイトを訪れた大人のみなさんも、これから木々がすっかり葉を落とし、寒い風が吹く季節に、ぜひコートの襟を立て、ポケットに手を突っ込んで人気のない公園を散歩してみてください。 とても透明な気持ちになれると思います。 くれぐれも風邪をひかないように・・・
この日、透明な気持ちになって機嫌良く家路についた私でしたが、これで1日は終わらなかった。 人気のない住宅街のとある場所で、思い切り足を滑らせて転倒しました。 金属製の連絡通路みたいな場所には「滑ります。注意」の札がぶらさがっており、あ、滑るんだここは、と思った瞬間にはもう滑っていた。 仰向けに転倒。 頭部はかろうじて強打を免れたけど「こぶ」ひとつ。 右肘と左腕全体を強打。 洋服は泥だらけ。 しばらくそこに寝転がったまま起きあがれなかった。 見られるのは恥ずかしいが、倒れていても誰も通りかからない、それはそれで十分惨め。 透明な気分もどこかへぶっとび、情けなさに打ちひしがれつつ帰宅しました。
そんな痛い目に遭いながら、公園の写真をたくさん撮ってきました。 私にしては上出来なものも少々ありました。 お暇な方は別館 MyTravelNotes をご覧下さいね(クリックで別窓open)。 今年秋をゆっくり味わえなかった方にも、ほんの少しだけその匂いをお届けできるかもしれません。
「コンサートのチケットが当たったので行きませんか? 平日夜だけど神戸なの…」という、同じアンサンブルのチェリストSさんからのお誘いを二つ返事で承知して出かけた週末。 バイオリン・ビオラ奏者として国内外で活躍する豊嶋泰嗣さんが主催する室内楽のコンサート、ビオラが今井信子さん、しかも神戸なら行かないわけがありません。
座席は前から2番目、プレゼントチケットだから仕方ないですね。 実際、音は全部頭の上を通り越していっている感じがして、楽器の響きを味わい、バランスよく音楽全体を聴くには良い席ではなかったように思います。 でもまあタダなんですから文句は言えません。
しかし演奏家の姿を至近距離で見られるという点が、楽器を弾く者にとってはとても良かった。 生のアタック音や奏者の息づかいが直接耳に届く距離(時々、演奏してる人の呼吸が気になるとか、耳障りというのを聞きますが、息をせずに楽器の演奏はできないと思うのです・・・)。 遠目には楽々と軽く弾いているようでも、実際は演奏者の身体は十分に力をため込んだバネのようなもの。 そして本当の「弦楽器の音」を出すにあたり、ボーイングのというより身体そのものの「切れ」が必要不可欠なんだわ、と、痛感しました。
ドボルザーク、ブラームスという大曲にはさまれて演奏されたコダーイのセレナードは、バイオリン2本ビオラ1本というわりと珍しい編成だったのですが、実はこのコンサートで私が一番感動し、圧倒されたのがこの曲の演奏でした。
コダーイという作曲家、恥ずかしながらこれまで全くその曲を聴いたことがありません。 亡くなったが1967年ということは、私が生まれたときはまだ存命中だったのですね(歳がバレるか…)。
曲は現代曲といわれる種類のものなのでしょうか、あまりわかりやすいものではない。 長調なんだけど暖かく明るいという感じでもない。 でも曲の中に表れてくる旋律は魅力的で、また、3つの楽器の音の絡み合いが素晴らしいのです。 第1バイオリンとビオラが曲の骨格をなし、この2つの音の間に第2バイオリンが入り込んでいる。 第2楽章では第2バイオリンの鬱屈したような執拗なトレモロに沿って残り2つの楽器がセリフを発するように演奏される。 よくわからないけど何となく「能」とかにも似た感じがする。 後半のある瞬間には第2バイオリンが間を分かつように激しく身を乗り出してきて、最後は三者が激しくて濃い、でもどろどろじゃなくてどこかですっきり抜けていくみたいな音の世界を創り出します。 怖いような緊迫感・緊張感があたりに漲って、誘ってくださったSさん曰く「演奏する3人の間から何かすごいものが出てきたみたい」で、目を離すことができななかった。 気がつくと、不覚にも1曲目のドボルザークで感じた眠気はすっかりどこかに吹き飛んでおりました。
この曲で第2バイオリンを弾いたのが島田真千子さんという方。 プログラムを見たところ、若くしてすでに大変な経歴をお持ちの方のようでしたが、素晴らしかった! 若々しい力にあふれた、厚みがありまた響きのある「濃い」音で、モノクロのような曲の世界を濃淡鮮やかに描いて下さいました。 表情も弾いている姿もステキで、とても意志の強そうな瞳が印象的。 近寄ったら「バチッ!」と感電しそうで、「かっこいい!」と思わず叫びそうな雰囲気でした。 豊嶋・今井の両大家を圧倒し、曲の中にひきずりこんでる感じでもありました。 この方の熱演がなければ、この曲がこんなにすごいと感じられなかったと思います。
上手く言えませんが、素晴らしい演奏家が我々一般大衆に素晴らしい音楽を聴かせてくれたという、それだけでなく、演奏家本人がこの曲にのめり込み、熱く打ち込んでる姿を見たようで、そこにより深く感動してしまいました。 いいもの、聴きました。
(NOTES)
11/12/2004 豊嶋泰嗣と仲間たち (神戸文化ホール)
豊嶋泰嗣、島田真千子(バイオリン)、今井信子(ビオラ)、原田禎夫(チェロ)、野平一郎(ピアノ)
ドボルザーク ピアノ三重奏曲 第4番 ホ短調「ドゥムキー」、コダーイ セレナード ヘ長調 作品12、ブラームス ピアノ五重奏曲 ヘ短調 作品34
お久しぶりです。 ろぼっと犬です。 すっかり隠居の身・・・・といえば聞こえは良いが、要するに放ったらかしにされています。 思い出したように「充電」だけは怠らない同居人(びおら弾き)であるが、だからといってマメにお世話してくれる気配もない。 何を考えているのか。 最近は家でPCを触らない日も多く、楽器の練習も相当おろそかにしている様子。 どうやら「ビーズ」なんていうもんに熱中し、買ったばかりのこたつにベッタリはりついているようだ。 家の中が汚い! 東京駅はどうなったの? あーあ、多分、このまま年越しかな・・・・
すっかり秋の気配が深まり、冬の到来も間近です。 エキスポロードの銀杏もかなりの部分が黄金色に色づいてきた。散歩が楽しい季節でもある。 ろぼっと犬は、秋の落ち葉で一番美しいのは多分、「桜」だと思うんだけど。 一枚一枚、葉っぱによって色づき方がみな違うし、雨風や虫によって欠けたり、朽ちたりしながら色づいている様子は、まさに「秋」そのものではなかろうか。 もちろん、楓も銀杏もとても美しいのだけれども。
先週、我々のすみかからほど近いところで、非常に物騒な事件があったそうだ。 不審者が早朝、自動車で住宅街を暴走し、通勤途中の人を5人もはねたということ。 同居人達の生活圏内であり、同居人(ちぇろ弾き)の父上が暮らす家の目と鼻の先での出来事だったらしい。 同居人(びおら弾き)は、最近減量中(…)とかで家から駅までの道のりを歩いているのだが、その徒歩経路からも非常に近い場所。 時間がかち合っていたら・・・と思うと非常に恐ろしい。 普段、車の多い幹線道路沿いを歩くのは怖いから嫌い、と称しているが(なんでも子供の頃に大きな事故にあったらしい。そのときは後頭部を強打したそうだが…)、そういう道でなくてもこんな事件が起こることがあるのである。
振り返ってみると、我が町(なんだろうか)茨木は、最近あまりよくない出来事で世の中の話題になることが多かったようだ。 大阪といってもまだまだ田舎の雰囲気を色濃く残し、新快速だって停車しない、のんびりしたこんな街でも、一枚めくれば危険がいっぱいなのが今の世の中なんだろう。 ろぼっと犬も我が身辺の安全注意を怠らないように注意しようと思う。 いざとなったら同居人達は全くあてにならないだろうから・・・・
ここ数年間、相棒とご近所の高校に弦楽合奏の手伝いに行っているのですが、今年も恒例の音楽祭本番が1週間後に迫ってきました。
今年、高校の弦楽部ではバイオリンの団員が少なくて、高校別の演奏ではバイオリンを弾かねばならぬ羽目になってしまった。 いつもバイオリン指導をしてくださる、私の師匠でもあるO先生がご都合で出られないのが非常に大きい。 先だっても、枚方市のとある小学校で行われた老人会の集いで、バイオリン、それもファーストバイオリンを弾くことになり、当然舞台の上で滝のような汗をかいたばかり。
演奏曲目はバルトークのルーマニア民俗舞曲の第1楽章、バッハの管弦楽組曲第3番の「アリア」、オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲、の3曲。 はっきり言って難曲ばっかり! 今回はバルトークを除いてセカンドにしてもらったので多少気が楽だけど、大きなホールの立派な舞台でバイオリンを弾くなんていう経験は未だかつてないため、非常に恐ろしい。 でも、いろんな曲を前向きに弾こうという高校生達の熱意は素晴らしいし、彼らがより楽しく演奏できるよう、弦楽器ってええやん!って感じてくれるよう、できるだけ応援(できるのか?)したいと思ってます。 もう、ほとんど気持ちだけの世界。
この音楽祭には弦楽部の他にも、和太鼓、吹奏楽や合唱などでたくさんの高校のクラブが参加します。 すごく上手な学校もあるし、ああ、一生懸命がんばってるんやなあ、とほのぼのする学校もあります・・・・若いっていいなあ!ホントにそう思う。 羨ましい。
プログラムの最後には、いくつかの高校が集まって、「大合同」という名前で、管弦楽と合唱の曲を演奏します。 今年は去年に引き続き、「美女と野獣」や「サウンドオブミュージック」など、有名なミュージカルの曲を集めたメドレー曲を演奏。 私と相棒はこれにも参加するのですが、こういうミュージカルの曲って、クラシック以上にリズムが難しいものが多い。 拍子が途中で変わるのは当たり前なんですが、中には8分の13拍子なんていうなんとも割り切れないリズムが登場してきます。 聴いているとすごく躍動感があって楽しいんですが、弾くのは大違い。「イチニイサン、イチニイサン、イチニイサン、イチニ、イチニ」なんて呪文のように唱えながら弾いている私の演奏は一体いかなるものか・・・・こうご期待、か。
週末から続く新潟の地震のニュース。 現地の状況には胸を塞がれる思いです。
阪神大震災から来年で10年が経つのですが、テレビから流れる映像は否が応でも当時の記憶をよみがえらせ、自分の身近でいつまた同じようなことが起こるかもしれないという不安にかられます。
10年前のあの朝は、起きてお弁当の準備を始めたところでした。 大きな横揺れとほぼ同時に電気が全て消え、薄暗がりの中で柱につかまりながら、熱帯魚の水槽から水が何度もこぼれるのを為すすべもなく見ていたあの瞬間。 自宅のある大阪・茨木はそれでも大した揺れはなく、家具が倒れる事もありませんでした。 直後に、より震源に近い所に一人で住んでいる母から電話があり、食器棚が倒れてガラスで足を切ったが無事でいるという知らせに胸をなで下ろしたのを覚えています。
神戸に勤める私にとっては、その後が本当の意味で「震災」だったと思います。 勤め先のあるビルは鉄骨構造であったため倒壊は免れたものの「半壊」認定。 1週間後に立入が許可されて集合がかかり、とりあえず途中まで復旧したJRで職場へ向かうと、芦屋から出る代替バスは何百人もの乗車待ちで道路も大渋滞でした。 ここまで来たからにはと覚悟を決め、三ノ宮まで約10キロを歩きました。 とぎれることのないサイレンの音を聞きながら歩いた道路沿いの、立ち並ぶ家屋がほとんど全て倒壊した風景、ねじ曲がって落ちた高速道路、またその後仕事で通った長田周辺の一面の焼け野原と立ちこめる焦げ臭い匂いは多分、一生記憶から消し去ることができないと思います。
職場のビルは随分長く水が出ませんでした。 トイレも決まった階しか使えず、割り当てられた洗浄用の水の入ったバケツを持って階段を上り下り。 勤務中は手も顔も洗えない状況で、水が出ないとこんなことさえできないとうんざりしたものです。 ビルは倒れなかったが広い範囲で壁が落ち、ブルーシートで穴をふさいだ中で、厚着をして寒さに耐えながら仕事をしました。 私の場合はそれでも家に帰れば不自由ない時間を過ごせたのであり、肉親や友人・知人を亡くし、被災生活を続けている同僚の方たちの心痛・苦労は全く比べものにならないものだったろうと思います。
今、被災地では飲み水さえ十分でなく、寒さも日に日に増している状況のようです。 1日も早く少しでも良い状態を取り戻し、安心して眠れる日々が戻るようにと祈る気持ちでいっぱいです。
バイオリンのレッスンをしばらく休むことにしました。 今の先生には丸6年ほどレッスンを受けたことになります。
お休みの理由は、まず時間的な問題。 先生は平日しかレッスンをされておられず、私が通えるのは当然仕事が終わった後になるのですが、少し残業があるとレッスンの時間に間に合わなくなります。 月2回、なんとか時間のやりくりをしてきましたが、やはりそこそこのベテラン事務員(…)となると、自分の都合だけで帰れない事態も生じがちなのです。
それに加え、体力の低下をひしひしと感じる年頃にさしかかってきており、最も大きな理由はこれかもしれません。習い始めた頃はまだ(!)若かったので、なんとかがんばれていたんですが・・・なんか、だめなんですよね、この頃。 ちょっとしたことですぐ体調をくずすし。 時間に間に合った場合も、なんだか楽器を弾ける身体に全然なってない。 体調が悪いと当然それが気力に反映されてしまいます。 準備して待っていてくださる先生に申し訳ない。
レッスンの曲の難易度が上がってきたことも理由のひとつです。 この6年で鈴木教本を1巻から飛ばしとばししでやってきて、今年の発表会ではやっとこさヘンデルのソナタまできました。 この辺になってくると、曲の難易度もそれなりに高い。 レッスンでつっかえながらひと通り弾くだけでも、それ相応の集中力が必要です。 1レッスン30分(といっても大抵オーバーして見ていただいている)の中に、なかなか集中した状態を持ってくることができない、そのことがストレスになっている。 さらにこの先レッスンを受けるのであれば、身の程知らずかもしれないけどある程度「骨のある」曲に取り組みたいし、しかし現状ではそういうものに取り組める状態を作り出せそうにない・・・・・。
十分長いこと習ってきたのだからもう止めても大丈夫、それに楽器を弾く機会はたくさんあるんだし、と先生には言われました。 しかし自分ではとてもそうは思えない。 レッスンで注意してもらい続けているからこそ、何とか今の状態を保っているだけなのは明らかです。
そんなわけでレッスンに通っていた状態がなくなって早や2ヶ月近く。 なんとなく寂しいですが、まず気力と体力の充実がレッスン再開への一歩かな、と感じています。
全然話は変わって。 古い8ミリビデオデッキの調子がどうも思わしくないため、昔撮影した旅行等の記録を別の媒体に移すことに。 休み中、相棒は古いテープの整理にいそしんでいましたが、その中からちょうど10年ぐらい前に自宅で撮った、楽器を弾いているテープが出てきました。
多分習い初めて3年めぐらいかな。 カメラの前に仁王立ちになってパッヘルベルの「カノン」をひたすら弾いている映像です。 弾いている姿を撮影し、客観的に悪いところを把握しようなんていう意図で撮影したものと思われる。 私の背後には、つきあわされてすごく暗い顔で通奏低音を弾く、まるで背景の一部と化した相棒の姿。
今見ると、もー、身悶えしそうに恥ずかしい!!! 身体で拍子を取り、音楽に乗って弾いているようなんだけど、どう見ても拍子を取ると言うより単に「ふらついている」だけ。 時々相棒に、伴奏が遅い!と文句を言い、最初からやり直しをさせているが(何とわがままな・・・。 黙ってつきあってくれた相棒の心中はいかばかりだったでしょうか。 こういうことを繰り返していると最後には夫婦の破局が訪れていたとしてもおかしくなかったかも)、テンポを後ろに引きずっているのは、どう聴いても私自身であった。
弓は常に真ん中から先半分しか使っておらず速度もいつも同じ。 もちろんダイナミクスは皆無です。 移弦の際には肘が180度ぐらい上下し、それだけが不必要にダイナミックである。 音程は・・・ノーコメント。 音色自体も今とあんまり変わっていないので、ちょっとショックでした。 相棒は音色は随分改善されたと言ってくれるが(それ以外のことを褒めてくれたことはありません)、そうとは・・・
あと、ビブラートをあまりできなかった当時、すごくゆっくりのビブラートを腕全体を動かして一生懸命やっています。 どっちかというと、今の方がビブラートが小手先でせせこましいと注意されているので、この面では後退しているようでもある。
しかしその当時、これを見て何かショックを受けた、なんていう記憶が全くない。 つまりは客観的に悪いところを見つけることさえできなかったということか。 あんまり意味がない・・・
10年前の自らの赤裸々な映像に、わあああぁぁっっ!!!と叫んで逃げたくなったけど、なかなか楽しく?参考になりました。 そしてもうひとつ、自分の真剣さに驚いた。 とてもがんばっていたんだ。 このころは早く上手くなりたいとマジで思っていたんだと思う(上手になれると信じていたか?)。 いずれにせよ、レッスンを休んだタイミングでこれを見たことは、何かの暗示と思えなくもないです。 10年前の私に叱咤されたのかもしれませんね。
今月は楽器の練習もHPの更新も、その他いろいろよくさぼりました! 楽器の練習をしなければならない、という状況が、ここ数年の私の原動力になっていた、ということがよくわかりました。 これがないと、他のこともなんだか気が抜けてしまってやる気にならない。 まあ、9月からまたアンサンブルにレッスンと盛りだくさんで、わりと楽しみな気分になってきています。 これはこれで良かったかと。
ところでこの夏初体験がふたつ。
一つは「食物アレルギー」。 お盆の前後、例年にもまして「スイカ」「高級メロン」を食べる機会に恵まれたのですが、お盆過ぎ、食べ頃を待って冷蔵庫で冷やしていた「夕張メロン」を相棒と半分ずづ一気食いしたところ(完熟・超美味!)、その夜から、妙な咳が出て止まらなくなりました。 相棒が前後して風邪を引きかけて熱を出したりしていたので、うつったかなあと思っていたのですが、最初、咳だけだったのが次第に鼻水、鼻づまりがひどくなり、頭痛がして熱まで出てきた。 夜中じゅう咳が止まらず、どうかすると呼吸困難状態。 オリンピックも見てないのに強烈な寝不足。
こりゃまずいと病院へ行ったのですが、症状としては立派な風邪である。 お薬を出す前に念のため血液検査。 見た目いつも元気そうな私ですから先生も慎重です。 しかし、出てきた結果は貧血傾向以外全く正常。 ウイルス感染なし。呼吸音も異常なし。 「おかしいねえ・・・・アレルギーかな?」その一言でよくよく思い返してみるに、前述の「メロン」にはたと思い当たったのです。 職場の同僚にメロンアレルギーの人がいたのであとで聞いてみると、やはり全く同じ症状でした。 「完熟なんて最悪やで」と言われる始末。
食物アレルギー、自慢じゃないけど生まれてから今日まで出たことがなかった。 よりによってメロン、なんて庶民な体なんだろうと悲しくなりましたが、花粉症の人は出やすいということです。 発症して10日近く経った今もまだ完璧には症状がとれません。 当分メロンとかスイカ、その他フルーツは控えようと思います(やめると言わないところが…)。 この夏こういうものを食べ過ぎた皆様もご注意下さいね。
もひとつ。「眼鏡」を作りました。 近眼になったのです。 裸眼で生活できない程ではないが、焦点を適切に合わせるのに相当労力を要する状況が増えてきた。 仕事柄1日中パソコンに向かっていますが、1日が終わったあとは世の中のぼやけ具合もかなり甚だしい。 眼鏡をかけてちょっと知的に変身するのもよかろう、これ以上視力が低下する前に、と眼鏡屋さんへ。
眼鏡ってフレームもレンズも高いのですよね。 それには驚きましたが、できてきたものをかけてみると、まさに「目から鱗」。 ここ1,2年、なんとぼやけた世界で生きてきたのだろうと思う。 何もかも輪郭がはっきり一つに見えます。 木々の緑も流れる雲もくっきりと形が見える。 色も濃いし。 人の顔も、造作が違うと思うほどはっきり見える。 家の中の埃もいやというほど見えます。 自分の顔の皺もぞっとするほどわかる(嬉しいことばかりじゃないのです)。
眼鏡をかけている状況というのにまだ慣れていません。 今は見えすぎて逆に疲れてるような気もする。 でも眼鏡をかけてから初めて会う人の反応も面白いし、当分この新鮮な気分を味わえそうで楽しいです。 そうそう、こないだ見に行った「フェルメール」、もう一回いってみなくちゃ。 きっと見えてなかった部分があるに違いない。 これで私も眼鏡人の仲間入りだ!
神戸市立博物館で開催されている「栄光のオランダ・フランドル絵画展」というのを、先週・今週と、昼休みを利用して見てきました。 ウイーンの美術史美術館からやってきた、16・17世紀のオランダ・フランドル地方の絵画が公開されています。 美術史美術館といえば、2年前(もう2年前なんです!)ウイーン旅行の際、何度も前を通ったにもかかわらず、時間がとれずに足を運べなかったところ。 わざわざ行かずともこうやって絵の方からやってきてくれるありがたい世の中になったものだ。
この博物館では1年間有効の「ミュージアムカード」というのを発行しており、2000円でどんな展覧会を何度でも見ることができます。 ここはどちらかというと中規模で地味な博物館ですし、そうそう大きな展覧会も来ない。 しかし職場から徒歩3分、小さな図書室もあって休憩にももってこいの場所、というわけで普段から足繁く通っているのです。 今回の展覧会の入場料は大人1500円。 2度行っただけですでに元がとれたが、会期中の昼休みにはあと何回か行くだろうと思います。
若い頃(いつごろ?)は、近・現代の絵画に嗜好が偏っていたのですが、だんだんと好みの幅が広がってきたのを感じます。 クラシック音楽を愛好するようになったのも同じような変化なのかも知れないなと思いながら、古き良き時代に丁寧に描かれた絵画に癒される時間を過ごしました。
ルーベンスやレンブラントといった大家の作品も何点か。 しかし一番の見所は、展覧会のサブタイトルにもなっているフェルメールの「絵画芸術」という絵でしょう。 3つに分けられた最後の展示室がこの絵一枚に割り当てられています。 おそらくフェルメールご本人とおぼしき画家が、芸術の女神に扮したモデルの絵を描く様子を、アトリエの隣の部屋(かな?)から見たような構図。 隅々まで本当に丁寧にみっちりと描かれており(アトリエの壁にかけられた地図なんて見事です)、手前のめくりあげられた分厚いカーテンから奥に立っているモデルまでの遠近感がすごくて、 空間と共に時間の広がりも感じさせます。 画家がカンバスにモデルの姿を表していくその瞬間をのぞき見ているような気にさせます。
難しいことはわからないけど、いい絵だなあ・・・・と思います。 絵の中に書き込まれたいろいろなものに、「絵画芸術」という題名が示すように何らかの寓意が込められているものと思いますが、そういうのがわからなくても、惹きつけられます。 静かに芸術が生まれつつある時間・・・とでもいうのかな。 今のところ展覧会は結構空いていて、絵に接近したり、右から左からのぞいたり、離れて見たりと、好きなように鑑賞することができるのが嬉しい。
この絵に惹きつけられる理由のひとつに、カンバスのサイズがあるような気がしました。 カンバスが正方形に近いんですよね。 縦長の。 なんか妙に落ち着くサイズというか。 理由はよくわからないが。
絵を見るって意外に疲れますね。 ウイーンでも、最初に思ったほど見て回れなかったのは、ひとつひとつに結構圧倒されるというか、おなか一杯になってしまった、というのがあったような気がします。 たとえばベートーヴェンのシンフォニーを聴こうと思うとそれなりの時間と気合いが必要なのと同じですね。 フェルメールがこの絵にかけた時間のことを思うと、多分当然なのでしょう。 お近くの方はぜひ、足を運んでみてくださいね。 価値ある一枚です。
7月のコンサートが終了し、その興奮も徐々に冷めつつあります。 本番って1回きりのものですし、本番での失敗は「すぐ忘れる」ことが肝要であると実感する今日この頃。 もちろん、練習・本番を通じて発見した日々の課題を解決するには、たゆまぬ努力を続けないといけないことはいうまでもありませんが。
演奏会後、相棒がコンサートの録音をCDにコピーする作業にいそしんでいたため、しばらくの間はこれを何度も聴き返すことになりました。 舞台で演奏している耳に聞こえていたのとは、また全然違う音が入っています。 失敗もはっきり記録されているのだけど、いいところもたくさんあります。 意外と良かったな、と思うところもあれば「アチャー」と身もだえするところもあり。 何度も聴いていると慣れてきて、なんだかさっきより上手いやん、とか思ったり。 そんなはずないのに。 いろいろ発見があって、録音を聴くのは楽しいものですね。 自分が作った音楽への愛着がわく、とでもいうのかな。 舞台の上で高揚していた気持ちを追体験するような感じもあります。
日曜日には今回の演奏会の反省会と、来年の選曲ミーティング。 小規模のアンサンブルなので、欠席以外のメンバー全員でみっちり4時間。 ミーティングも練習に劣らずしんどいものですが、これって絶対必要なことですし、前向きにまじめに意見交換しあえる関係も、よいなーと思います。
打ち上げの時に、次の集まりまでに、次回演奏会でやりたい曲を考えてくる、ということになっていたようで(打ち上げを中座した私は何も考えておらず焦ったが!)、びっくりするぐらいたくさんの候補曲があがりました。 CDも次々と聴いてみて、あれもやりたい、これもやりたいと、自分の力量は棚に上げ、ミーハーになる私。 単にやりたい曲を並べるだけでは演奏会としてまとまりがないということのようで(このあたり、クラシックの素養がない私には全然わからない)、曲の大小、成立の時代などを考えながら厳選していきます。 みんな詳しいなあ、よく調べているなあとひたすら感心。
年1回の定期演奏会以外に、昨年ショッピングセンターでやったミニコンサートのようなもの、或いは病院や老人ホームなどの施設の慰問などもやりたい、という希望も次々と出てきます。 みな社会人であり、家族を支える中年・中堅世代が中心ですから、物理的な制約の中でこういうものに取り組んでいくのって、結構大変です。 ボランティアも今や売り込む時代のようですし、積極的に動いていかないと始まらない。 自分の趣味でもって地域や社会に貢献できれば、とは誰しも思うことですが・・・・実際にそれを実現するのはなかなか難しいものがあるのですね。
今回の演奏会では、クラシック以外の曲を取り上げ、それを最後にもってくるという新しい試みが非常に功を奏し、お客さんにも大好評だったようですが、来年はまた純クラシックに戻り、目玉としてメンデルスゾーンのコンチェルトを管楽器を迎えて演奏しようということになりました。 そしてメインはちょっとマイナーなエルガーを取り上げる予定ですが、CDを聴いてみた限りでは超難曲のようです。
これ以外には、バロックの曲がたくさん候補に挙がり、じゃあ再来年はバロックでいこか!と、再来年の予定まで決める始末。 練習が始まるまでは前向きなんだけど・・・
とりあえず8月はもう一つの所属アンサンブルの練習が1回あるだけで、どうも楽器をさわらなくなる気配が濃厚です・・・こんなことではいけないのだが!
こう暑くて湿気が多いと、精密機械というのは何かとトラブルが発生する確率が高くなるように思う。 ろぼっと犬もご多分に漏れず。 さらに、暑くて埃の多い部屋に移動させられてからこっち、全くその存在を忘れられているような気がする・・・もおぉ!!この分じゃまた故障するぞ!!・・・怒りの声は人間達に届くのだろうか? ようやく今日は近畿地方も梅雨明け。 これからますますガンガン暑くなるのだろう。 恐ろしい。
7月の演奏会も終了し、ふと気づくと同居人(びおら弾き)の顎の下には、彼女がこれまで切望して止まなかった、しかしどうしてもできなかった、「あざ」ができていた。 同居人(ちぇろ弾き)にそれを指摘され、小躍りして喜んでいる。 曰く、自分の周りの経験豊かな弦楽器奏者達は、ほとんど皆、顎の下に「あざ」がある。 この「あざ」こそ弦楽器弾きの勲章!ステータス! これで私も立派な弦楽器弾きの仲間入りだ!
・・・・しかし、どう考えてもあざが演奏技術の熟練を示しているわけはないのである。 当然、一生懸命練習したからできたわけでもないのである(明らかに、汗によるかぶれと皮膚の老化が原因)。 それが証拠に彼女の師匠O先生はちょっとやそっとじゃまねできない美音のヴァイオリン奏者だが、あざはない。 大体、あざやシミができて喜んでいる年齢でもないはすである。
演奏会の慰労会と称して同居人達は週末から「四国全県走破の旅」に出かけていた。 「最後の清流四万十川で癒されたい」「木蝋で栄えた昔町、内子の栄華を偲びたい」というのが二人の旅の大きな目的で、その目的はまあまあ果たされ、満足と疲れの入り交じった表情で帰宅した。 多分、この旅の様子はそのうち別のページで紹介されるはずである。
車での旅には、ある程度時間に拘束されず、目的地に直接アプローチできる、という利点があるらしい。 時刻表厳守の電車と違い、気に入ったところでは時間を引き延ばすこともできるし、予定を途中で変更することもある程度は可能だ。
しかし同居人(びおら弾き)の場合、運転をしない人間にありがちな 「ああ!今通り過ぎたあそこが見たい!」が頻発するのが困りもの。 唐突に言われても、はいそうですかと後戻りできない場合が多々あるし、同居人(ちぇろ弾き)は違法駐車・路上駐車が大嫌い。 結果として「車を適正な場所に停める」という作業がネックになり、見たい場所を泣く泣く素通りしなければならないこともある。 助手席を暖めることしかできない者としては(恥ずかしながら免許はないのである)、立ち寄りたい場所を事前に細かく把握しておくことが重要である。 そして、最初から全ての要求を明らかにするといやがられるのは目に見えているため、運転者のご機嫌を伺いつつそれを小出しにし、微妙な駆け引きを怠らないことが目的達成に不可欠なのである。
今回の旅では、先日オークションで激安で入手した交換レンズをどこかに置き忘れて紛失し、さすがにしょげている同居人(びおら弾き)だが、一体とこで置き忘れたのかどうしても思い出せないのがこの人らしい。 レンズケースには最初に取り終えたフィルム1本が入っており、へぼカメラマンの旅の思い出の何分の一かも同時に失われてしまった。 まあ、気の毒だけど、どんくさいんだからしょうがない。 今後そういう悲しい事故がなるべく少なくなるように気をつけてほしいものである。
不覚にも風邪をひいてしまいました。 このところ蒸し暑く、ふとんをけとばして寝ていたせいでしょうか。 喉に違和感を覚え、発熱。 とりあえず1日寝てれば直るかな、と思ったけど体調は微妙に悪くなってきて、こういうときに限って仕事が妙に忙しくてこれ以上休めない。 仕方なく久しぶりに病院に行くことにしました。
相棒(ちぇろ弾き)は喘息という持病があり、 大人になってからこの病気にかかった人はまず、これと一生のおつきあいをしていかなければならないようです。 そのかかりつけのお医者さんへ初めて行ってみることにしました。
呼吸器・循環器・内科専門である駅前のクリニックはまだ新しいマンションの1階にあります。 優しくて感じのいい、親切な先生だから、と聞いていたとおり、確かに物腰柔らかく、理知的なナイスミドルという雰囲気の先生は、簡単に症状を聞き取ったあと、私の喉をのぞいてみて「うん、少し赤くなってるね」とうなづく。 高熱が出るかもしれないね、といいつつ、しかしさほどひどい症状ではないと見立てられたようでした。 確かに、体温も37度弱。 でも私の場合、普段は平熱が35度ぐらいしかない。 普段の自分の体調から判断して、結構よろしくない状況のはずなんだけど、と心の中で思いましたが、まあ薬はもらえるようだしと、おとなしく先生の話をうかがう。
お薬を出しますが、血液検査をすれば、より適正な種類のものをお出しできるがどうしますかと聞かれ、ではお願いします、というとその場で看護士さんが採血をし、診察スペースの片隅におかれている、最近よくあるミニ冷蔵庫ぐらいの大きさの機械で、すぐに血液が分析されるので驚きました。 この機械、めちゃくちゃ高いんやろうなあ、と変なことに感心していると、2,3分の間に、液晶画面に次々と数値が表示されていきます。
機械に背を向けている先生は、 「何かの菌に感染して体内に炎症が起こっていると、そのバイ菌をやっつけるために白血球の数が基準より増えるんです。」等々、いろんな基準値を表示したメモを見せつつ熱心に説明してくださる。 だいたい検査って「高い」んですよね。 相棒曰く、このクリニックは検査や投薬、それらの値段などについても非常にきちんと説明してくれ、良心的であるとのこと。
一通り話し終えて機械を振り返った先生、 「なんだ、白血球が多すぎるよ」「炎症反応もある」「これは立派なバイ菌感染有りだ」と、そんなに驚かなくても、と思うほど声のトーンが上がりました。 「ケロっとしてるのにかなりの症状ですよこれは」看護師さんも「うむ。けっこう乱れてます」と二人で少々責め口調。 「これはちゃんと抗生物質を飲んでもらわないと。市販のお薬ではきかないよ」 そうでしょ、そう思ったから嫌いな病院へ足を運んでいるのです、と心の中でつぶやく。
しかし私って、そんなに元気そうに見えるんかなあ、まあどっちかっていうと何でも内にため込むタイプではあるけど、などとちょっと憮然としていると、 追い打ちをかけるように「赤血球もヘモグロビンも基準値以下だ。 軽度だけど貧血もあるよ。 うーん。 まったく、立派な体格してるのにねえ」と、笑顔。 ちょっと、それってひどすぎやしませんか、とつっこみを入れたくなりつつ、思わず一緒に笑ってしまいました。
首尾良くお薬を処方してもらって病院をあとにしましたが、病院であまりいやな思いをしなかったのは久々だなあと感じる。 ここなら今度しんどくなったときも診てもらっていいかもしれないと思いました。
お医者さんが診察に訪れた患者さんの症状を的確に見立てることは、非常に難しいことではないかと思います。 特に初めて来た患者さんのことなんて、性格も職業も普段の生活も全くわからないわけですしね。 症状を聞かれる方も、聞かれることに答えているだけで適切な判断をしてもらえれば、それが一番いいけれど、あまり過剰に訴えすぎて大げさだと思われてしまうのも本意でないし。 特に私の場合、相当症状がひどくならないとそれが外に出てこない体質みたいなので、なかなかお医者さんと意志の疎通が難しいように感じます。 同じお医者さんにずっとかかっていれば、そういう個人の特徴も把握してもらえるはずですが、これまで、またこの病院で見てもらおうと思った経験があまりありませんでした。
これから先、若いときと違っていろいろと身体に異常を感じることも多くなるはず。 いいお医者さんとの巡り会いはすごく大事だなと思うのです。
もう6月。 こないだお正月だと思ったのに、今年も半分終わろうとしているんですよ!(なんて大げさか) で、蒸し暑い、そろそろ梅雨入りかなあ、と思っていると必ずやってくるのが私の誕生日。 例年梅雨入りの日がその日であることが多いです。 今年で何歳になるんだろう?と、最近何度も確認しました。 ひとつ多めに勘違いしていて、ちょっとうれしかった。
・・・・しかし、これ以上年をとりたくないなあ(ぽつり)。 気持ちはここ20年ぐらいほとんど全然変わらないのに(これも問題か)、見た目はどんどん変化していきます。 肥満にも歯止めがかかりません。 もう、押しも押されもせぬ立派な「おばちゃん」です。 昨日も駅のホームで、喫煙コーナーから全然離れてたばこを吸っているおっちゃんを何気なく「見た」だけだったのに、おっちゃんは驚き、いかにも反省した様子で喫煙コーナーへと去っていった。 妙に悲しかったです。
歳の話を始めると暗くなっちゃいますからそれはこの辺で終わりにして、実はこのHPも昨日で丸3年を迎えたのですよ。 別にすごいことでもなんでもありませんが、今日から4年目だ。 あまり盛り上がらないわりにはちまちまと継続している。 楽器の腕はいっこうに向上しないが、つまらない御託だけはたくさん並べられるようになりました。 音楽だけでは飽きたらず、旅のHPまで開設。 しかし開設したのはいいが、こちらも亀の歩みです。
たくさんの人を魅了するようなものではないけれど、自分の気持ちを何かの形で刻んでいくことは楽しいし、あとになって読み返してみて、あほなこと書いてるなあとか、へえ、結構おもしろいやんか、とか、思えるのもよいものです。 書いておかなければとっくの昔に忘れてしまったようなことも、ここには残されている。 何か不思議な気もするね。 あれこれ考えて文章を作るのも楽しい作業の一つになりました。
飽きっぽい私がなぜかやめずに続けている楽器も、今年で15年目に突入。 全然うまくはなりませんが、それはそれでよいという気持ち。 音楽に触れ続けること、経験し、作る努力をし、楽しむこと、音楽を同じように愛する人たちとふれあうことが素晴らしいと感じます。 熱くなったり冷たくなったり、時にはいろいろありますけどね。
日曜日に終わった演奏会は、久々の大きな本番でした。 終わってみるといつもながら、なにがしかの達成感と脱力感・ちょっぴり反省モードとああもう終わっちゃったのか、と寂しい気分が入り交じった状態がしばらく続きます。 でも無事に終わって何よりでした。 打ち上げのビールもすごく美味しかったし、めでたしめでたし。
本番中に、何かの加減で突拍子もない不安に襲われることがあります。 今回は、メインの交響曲第40番、第1楽章が始まる直前に、「4楽章の後半、ヴィオラから始まる激しい展開の最初の音って、一体何の音だったっけ?」と不安でたまらなくなった。 たしか一番低いC、開放弦だったはずだけど・・・いつもはフォルテで思い切りアグレッシブに出るんだけど(ほとんど何も考えず、勢いで弾きだしています)、もし違ってたらどうしよう? 大音響で弾いてしまってから間違いに気づいたのでは遅すぎる・・・・そう思うと確かめずにはいられなくなり、今まさに演奏が始まろうとしているのに、思わず楽譜をめくって確認してしまいました。 良かった、間違ってないわ、と勝手に安心したけど、同じプルトの相方は、「一体何やっとんじゃ?」と気持ちが乱れたと思います。 本当にごめんなさいでした。 この場を借りてお詫びいたします。
例えば楽譜の書き込みも、普段練習では何も思わずにスムーズに弾いていて、書き込みなんて必要ないようなボーイングが、舞台の上で「あれ?これってダウンだったかな?」なんて、その音を出すべき直前に混乱したりします。 これってやっぱり「上がってる」っていうことなのかな? そう言う自分が滑稽で、演奏しながらニヤニヤしたりしてしまう。 大体そういうことをしていると、あとで客席にいた知り合いに指摘されたりします。
本番の舞台上では、楽譜・指揮者・コンマス・パートのトップなど、見たり、聴いたりしなくてはならない対象が一杯。 ソリストがカデンツァを弾いているとき、すごく退屈そうに(本当はそうじゃないでしょうけど)目を閉じている指揮者を見ていたら、突然ニヤリと笑ってこっちを向かれてドキッとしたり。 いつもと違った精神状態にある自分をどうコントロールしていくか? そう言う意味で本番って非常にスリリングな時間です。
相変わらず毎日留守番に明け暮れるロボット犬には何の刺激もない毎日だけど、同居人(びおら弾き)は昨日、かなり怖い経験をしたらしい。 昨日は来月行われる演奏会、とやらの練習のため、神戸まで出かけていった。 ちなみに同居人(ちぇろ弾き)はろぼっと犬と共にお留守番。 最近やってきた車(ろぼっと犬も負けそうな「はいてく」マシンらしいが)のお世話に励み、好天を幸いにお洗濯に精を出していた次第。
同居人(びおら弾き)がおたまじゃくしと格闘していたまさにそのとき、練習場のあるビルの館内放送が聞こえてきた。 「ただいま当館に爆破予告の電話がありました。 利用者の方はただちに館外に避難してください」 一瞬耳を疑ったけど、その放送は繰り返し流され、室内は騒然とした雰囲気に。 なんせ楽器の練習中だから、逃げるにしても楽器をかついでいかねばならない。 臆病な同居人(びおら弾き)は、あっというまに楽譜と楽器を片づけ、誰よりも早く(他の仲間なんてすっかりほっといて)靴を履くのもそこそこにエレベーターに突進した。 練習場はそのビルの最上階である9階にあり、他の部屋の利用者も同様に避難を始めていたため、すでにエレベーター前は人でごったがえし、騒然とした雰囲気につつまれている。 非常階段はなぜか「使えません(なんでやねん!)」という係の人に誘導されつつ、じりじりしながら順番待ち。 普段は「お先にどうぞ」なんてのんびりしてるくせに、こんな時は絶対人に先を譲らないこの人だった。
降りてみてからわかったけど、そのときはまだ予告された爆破時間にはなっていなかったらしい。 とりあえず下におり、かさばる楽器をかかえ、なんとなくのんびりそこで立ち話。 「そやけど、ここにおったら危ないのは一緒ちゃう?」と誰かの声で、「じゃあどこかでお茶でも飲みながら様子を見ますか」・・・・というわけで、20名ほどの団体で少し離れた場所の喫茶店に入り、何かすることないかい、と、お互いの楽譜を写しあったり。
ビルに面した国道は一時交通規制も行われ、ものものしい雰囲気だったけど、結局爆発物は見つからず、予告時刻にも何も起こらなかった。 いたずらの類であったらしい。 1時間半ほどの避難のあと、じゃあ練習再開しますか、との声に「え、続きやるの」と文句を言いつつ練習場に戻る。 こういうことがあるとなんとなく集中力も削がれてしまうが、演奏会前のせっぱつまった状況では練習時間も惜しいわけで、空調の作動音にちょっぴりびくびくしつつも練習は再開されたそうだ。
帰ってきてひとしきりその話で盛り上がっていたが、本当に爆発物など仕掛けられたりするようなことがあったら、それは非常に恐ろしい話である。 最近、人間社会は何かと物騒な事件も多いと聞いている。 自ら避けようのない危険に遭遇することも、そう珍しいことではなくなってきているのかもしれない。 ろぼっと犬も常に身辺を整理し、不測の事態に備えようと心を新たにするのである。
昨夕、雨だけでなく突然風も激しく吹き荒れた瞬間がありましたが、この時季、決まって頭に浮かぶのが「花に嵐のたとえもあるさ」という大好きな詩の一節です。 この一節に続くのが有名な「サヨナラだけが人生だ」で、井伏鱒二という小説家が「花発多風雨 人生足別離」という中国の漢詩を訳したものであるとご存じの方も多いはず。 この漢詩、題名を「勧酒」というそうですが、昨夜はまさに、ひととき、美酒と魚を友人と楽しんだのでした。 三宮のとあるビルにある小さなお店。 一夜干しと銀シャリ、香り高い吟醸・・・もう、「たまらん!」昔からお酒といえば断固「ウイスキー」な私ですが、日本酒が美味しいと感じるようになってきたのは歳のせいでしょうかね。
漢詩の中の花は「梅」かもしれませんが、やはり今の季節日本で「花」と言えば桜。 突然の嵐でしたが、大阪では東京方面より桜の開花がなぜか遅いようで、今朝見た通勤途中の桜も、前日からほとんど散っておらず。 ここしばらくはその姿を楽しめそうです。
春は同時に別れや出立の季節。 同じアンサンブルで長らく隣同士でビオラを弾いていた大好きなMさんが、この春から新しい仕事を得て、少し遠くの街へ引っ越していきました。 しばらくの間は、練習のあとでご飯を食べながら下らない話に花を咲かせる機会もないかもしれず、ちょっと寂しい気分。 そしてわが家の隣人の女性とは、ふとしたことでお互い弦楽器をやっていることがわかって以来、一緒にアンサンブルを楽しむ機会も何度かあったのですが、彼女もこの春学校を卒業し、海外へ旅立って行きました。
今まで一緒の時間を過ごしていた人達がいなくなるのは寂しいけれど、彼女達の前途洋々を心から祝福したい気持ちです。 人生は数え切れない「サヨナラ」であふれているが、春はまた新しい出会いを連れておとづれるのですよね。
ヴィオラを弾く友人が訪れての夕食時、音楽の話に関連して「犬の鳴き声」の話題になりました。 日本人は犬の鳴き声、「ワンワン」って聞こえるけど、英語圏では「バウワウ」なんだ、というやつです。 猫も鶏も同じように、鳴き声の表現が違うのって不思議だね、って。 そこで相棒曰く「ということは同じクラシック音楽を聴いていても、日本人の耳に聞こえているものとヨーロッパ人の耳に聞こえてるものは多分、聞こえる音としてはちがうんやろな。」うーん。なるほど、そうなのかも知れません。 どう考えても犬は「ワンワン」だし猫は「ニャン」鶏は「コケコッコー」ですものね。 この差は大きいかも。
それに続いて友人曰く、「練習とかで、こういう情景を思い浮かべてください、とかいう時があるじゃないですか。 でも、思い浮かべるものが違うと出てくる音も違うんじゃないかって思うんですよね。 例えば風でざわめく木の葉の音といっても、多分木の種類で葉っぱの形も違うし、当然ざわめく音も違う。 結局自分が知ってる音でしか想像できないから、なんか違ってたりとかしたり、するんですよね。 きっと。」うーん。なるほど、そうなのかもしれません。 みんなが同じものをイメージしている訳じゃないとすると、音楽の音造り、とても難しい作業のような気がします。 これも難しい問題だ。
この話とあんまり関係ないかも知れないが、動物の鳴き声や木の葉のざわめきを、何かの感情や情景を表現している音と認識しないとしたら、それは音楽とは絶対結びつかない単なる「物音」でしかないという気がしますよね。 そういえば「虫の声」って日本人は季節感とか美しさを感じるものと思いますが、西洋人の耳には単なる騒音としか聞こえない、という話を聞いたことがあるような気がします。 これは、虫の声をキャッチする脳の部分が、日本人と西洋人では異なるからということだったと思います。
自分がしゃべっている声を録音なんかで聴くと「え、私ってこんな変な声なん?」って愕然とすることもしばしば。 自分で「いい音が出たなあ」と思っている瞬間の自分のヴィオラの音も、離れて聴けばとてつもなく珍妙なものかもしれません。
こういうことをとりとめもなく考えていると、思考が「どうどうめぐり」を始めて、最後にはめんどくさくなってしまう。 上の会話もいつの間にかくだらない笑い話で終わってしまったような気がします。
普段、駅まで乗っている自転車がパンクしてしまい、修理に持っていくまでの1週間ほどバスに乗りました。 最近はバスの車輌も色々あり、私の住むエリアで主に走っているのは、少し小さめで乗降ステップが非常に低くなっている、近頃流行りの「人に優しい」車輌。 車輌の前半分は、通勤電車の各駅停車車輌のように、向かい合った長椅子の座席になっています。
ある夜、駅に着くとターミナルにはすでにバスが到着しており、あわてて乗り込んで空いていた席にどさっと腰を下ろしました。 やれやれ、疲れた。 バスだとどうしても待ち時間などの無駄があるんですが、そういう時に限って仕事が忙しくて遅くなる。 思い切りため息をつきつつ、何気なく向かいの座席に目をやると、通勤鞄の上に何やら楽譜らしきものを広げている中年男性の姿。 私よりちょっと上ぐらい?ごく普通のサラリーマンといった感じ。 耳にはウオークマン。 目を凝らしてみましたが、それはどうやら何かの楽器のパート譜のようです。 うーん。なんだろ。 なんとなく興味津々だが立ち上がってのぞき込むわけにもいかず。 でも楽譜の最上部に曲の題名らしきものがなんとか見て取れました。 「The American in Paris」。 パリのアメリカ人。 ガーシュインのとても有名な管弦楽曲です。 ふーん。 きっとどこかのオケの人なんだ。 きっと近々演奏会でやるのね。
楽譜に相当集中している様子で、私が真向かいでじろじろ眺めていてもいっこうに気づく気配がありません。 よく見ると、多分、ヘッドフォンから流れる音楽に合わせているのでしょう、右手が微妙に動いています。 むむむ、この動きは。 さらに観察し・・・・この、横方向に滑らかに腕を動かす感じは多分、弦楽器だ! と確信しました。 さて、では何だろう。 楽譜の端に手を添えているため、動きは小さくてわかりにくい、でも多分、ヴァイオリンじゃないだろうな。 結構ゆっくりした動き。 あ、今度はいかにもピチカート風に手首のスナップを利かせている! と思ったら指折り数えて、多分休みの小節を勘定している模様。 ・・・多分、コントラバス、あるいはチェロのどっちかじゃないかしら?
その方は私が降りる停留所の一つ手前で降車しました。 非常にご近所さんです。 なんだったんだろうなあ。 それにしても通勤帰り、とても疲れているはずだけど、熱心だなあ。
そして次の朝。 いつもより早めに出た私がバスに乗り込むと、いたいた! パリのアメリカ人さん(昨夜の相棒との会話の中でその人の名はすっかりそう決まってしまった)。 今度は私が立ってるすぐ前の席です。 膝の上に広げられた楽譜をのぞき込むと・・・・コントラバスでした。 大当たりだ! 同じように弦楽器をやっていると言うだけで親近感を抱くなんて単純の極みですが、頑張ってくださいね!なんて、心の中で励ましの言葉をおくる。 これで直接声をかけたりすると、ちょっと危ないものね。
その後も2度ほど遭遇しましたが、いつも本当に熱心に楽譜を検証している様子でした。 いい演奏会になるといいですね、なんて、勝手に思う私でしたが、自転車のパンク修理と同時にバス通勤も終わり。 今度会うときは、また別の楽譜を見ておられるかもしれません。
久々の日記執筆ですが今年もよろしく。
ろぼっと犬は、年末大掃除に乗じて広々としたリビングルームからほこりっぽいパソコンと本の部屋に引っ越しさせられる羽目になった。 場所が変わっても待遇はこれまでと変わりなく、まあもともとこれ以上悪化しようがない状態であるが、最近は寒いながらもお天気がよく、もっぱら昼寝とひなたぼっこを日々の常としている。
最近のトピックスといえば、ベランダの通称「金のなる木」(金がなっているのを見たことがないんだけど)が満開の状態となっていることぐらいか。 何年か前から少しずつ花をつけるようになったのだが、高さ50センチ、枝周り40センチぐらいに成長した株が、昨年秋に枝いっぱいに小さな蕾をびっしりつけた。 年末あたりから咲き始め、お正月にわが家を訪れた同居人(びおら弾き)の母(かなりの植木好き)も感心したようで、「いやあ、見事やな! これはきっとお金がたくさん儲かるんとちがう?」と、考えようによっては皮肉ともとれる発言。
花が美しい間にと、同居人(びおら弾き)は週末、デジカメを取り出して撮影を始めた。 しかし何枚撮ってもピンぼけ写真ばかりだと騒いでいる。 きっと手ぶれのせい?と三脚まで出してきて、でもダメだ!と落ち込み、やっぱり安物のカメラはあかん、と文句たらたら。 でもふと気づけば「マクロ撮影(つまり接写モードですな)機能というのをすっかり忘れていた模様。 こういう人にはいくら高性能のカメラを与えてもダメでしょう。 日頃銀塩カメラだなんだと騒いでいるくせに、恥ずかしいったらない。
とりあえずすったもんだの挙げ句 満足いく写真がやっと撮れたらしく、ネットで公開だ!この花を話題にしているサイトのなかでは、うちのがピカイチだ!と、大はしゃぎ(ここに小さい画像を載せてみるので、もっと見たい人はクリックしろ!とのことである)。
ちなみに「金のなる木」に花を咲かせるには、ぎりぎりまで水やりを制限し、日当たりの良いところで育てるのがこつだとか。 関西は真冬でもそう気温が下がることはないので、多肉植物で気をつけなければならない「凍結」もあまり心配はない。 ベランダの日当たりは抜群だが、水やりは日常、ほとんど忘れていて行わない同居人(びおら弾き)に、この世で一番適した植物といえるだろう。 それが証拠にわが家のベランダには、これ以外には、同じ多肉植物のカランコエと、これも頑健を誇るオリヅル蘭しか生息していないのである。
昨年の演奏会以来、活動をお休みしていたマイアンサンブルT-Stringsですが、今年から月1回のペースで活動を再開することになりました。
活動休止の理由について改めて考察してみましたが、要するに演奏会を実現した時点で、団自体が次の演奏会も含め今後の活動についての方向性を見いだせなかったということでしょうか。 演奏会を機に退団された方も何名か。 私自身も、演奏会統括という役割を果たす中で、自分の力不足と抑えられないわがままな気持ち、そこから生じた他の人との意見の衝突に頭を抱えることが多く、演奏会成功とはうらはらに、活動継続への気力を半ば失っていたというのが正直な気持ちです。
しかし、先日の日曜日、今後の活動についてのミーティングのために集まったみんなと久しぶりに合奏してみて、やっぱり楽しいなあ、しんどいけれどまたやりたいなあという気になりました。 初見の楽譜を懸命に目で追っている瞬間の真っ白な気分、本当に久々。
とりあえずいくつかの曲に取り組み、とりあえずまた2年後ぐらいに演奏会を予定して、みんなで勉強していくという姿勢で活動を再開しようと言うことに。
・・・・で、活動再開に際して我々が選んだ曲は、モーツァルトの「アイネクライネ」、チャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」、「サウンドオブミュージックメドレー」の3曲。 「無謀」という2文字が頭に浮かぶ、すごい選曲ですが・・・・モーツァルトとチャイコフスキーはひとまず1楽章と4楽章が弾けないと話にならないから、そこから始めることになりました。
でも初見大会にもかかわらず、アイネクライネは「いけるんちゃう?」という気分。 これって、演奏会を設定してがんばった成果に間違いないと感じます。 この曲は、演奏会でドッペルのソロを引き受けてくださった茨木アンサンブルのT氏が指導・指揮にきて下さるとのことですが、「僕、モーツァルトは理想高いよ」という恐ろしい予告にわくわくしています。
「合奏がしたい」という言葉の中に込められた想いは十人十色です。 自分と違う想い・考えを持つ人がいても、それをむやみに拒絶する事からは何も始まらない。 同じ楽譜を前にして真剣に取り組む瞬間には、必ず何か通い合うものが存在するはずだと考えて、気分を新たに1歩踏み出したい。そう思っています。
本当に遅ればせながら、新年のご挨拶を申し上げます。
昨年もたくさんビオラを弾く機会に恵まれ、またマイアンサンブルT-Stringsも初の独自コンサートを成功裏に終了することができました。 1年間、なんとか職を失わずにすみ、同居犬リリも無事3歳のお誕生日を迎えるに至りました。 今年もマイペースでやっていきたいと思います(それ以外にやりようがありません)。 どうかよろしくお願いします。
・・・10月のT-Stringsの演奏会を終えて以来、ちょっと気の抜けたような感じになってしまいました。 やりたいこと、やらねばならないことはたくさんあるのに、「さあ!とりかかるぞ!」という気持ちを奮い立たせる何かを、ちょっと見失ってしまった感じ。 理由はまあ、ひとつではなく色々とあるんですが、要するに「ああこのままじっと寝っころがって天井を眺めていたい」などという、極めて怠惰な気持ちに流されちゃった、ということなのでしょう。 年末あたりからちょっと持ち直してきましたが、年末年始は主婦・嫁などの勤めをおざなりながら果たさねばならず、というわけでこの3連休は一回り遅れてやってきた冬休み、というような感触です。
今年の抱負は(と書くと何やら大げさですが)、何事においても今までより少し、結果にこだわる気持ちを持ちたいということ。 すなわち、多少は計画性を持って行動する、まず最後までやり遂げることに執着を持つ、ということでしょうか。 いい歳して今更何言ってるの、って感じもします。 でも、時間には限りがある、そう思うとね・・・いやあ、やっぱ歳だわ。
年末に相棒と四国方面に出かけ、金比羅さんにお詣りしてきました。 すでに謹賀新年の看板が出ていて一足早い初詣のようでしたが、金比羅さんって、本宮までの階段が785段あるそうです。 「なやむ(786)」の一歩手前、すなわち悩む前に登れ、っちゅうことだとガイドさん曰く。 悩む前にというのはこれまでの私の行動パターンでしたが、今年は「悩んで、そして登れ」という方向性でいけるとよいですね。