2008年の日記・・・
2008年5月1日 [危機管理]
2008年4月22日 [チャイコフスキー]

2008年5月1日(木) [危機管理] (わんこそば)

  5月に入りました。 今週あたりから気温もぐんぐん上がり、初夏を通り越しそうな勢いです。 連休も近づくと何となくじっと座ってられず、「片雲の風」に誘われて出奔計画に余念がありません。 ここ数年、黄金週間(なんて、全然違うやんと言いたいが)には突如江戸へ上ることが度々。 今年も危ないです。

  さて、先に演奏後感のコーナーに書いたことの繰り返しになりますが、この度、弦楽器奏者なら心のどこかで常に密かに恐れ、でもまさか自分に起こることは…という恐ろしい「演奏中弦切断事故」に、生きている内に遭遇してしまいました。
  プロの演奏家の世界ならば、こういう事故に遭遇する確立は我々とは格段に違って高いはずですが、当然楽器のメンテナンスには金もヒマも惜しんでいないものと思われる。 もちろん私とて、定期的に弦の交換を行ってはおりますが(その頻度については…他の人と比べて同等或いは多いという自信がないので臥せさせていただきます)、まさか、ねえ。 こんなことが自分に起きようとは。

  起こってしまったことを、いつまでもうじうじ語っても仕方がないのですが、あのとき、私の周りにいた人たちはどんな思いだったのだろうか、と思うと、見かけによらず気の弱い私は全身の毛がぞわぞわするのです。 多分、私自身が今回のブラームスをこれまでで一番、集中してちゃんと弾きたい、本番の興奮に身を任せて音楽にまみれてしまいたい、と強く思っていたからに他ならないです。 うーん。書いても書いてもこの気持は書ききれないなあ。 往生際の悪いやつ。

  私も以前、アマオケのコンサートで演奏中にコンサートミストレスの弦が切れ、楽器が順繰りに後ろに送られていく光景を目の当たりにしたことがあります。 舞台袖には予備の楽器が用意されていたのか、最後尾の奏者が弦を交換したのかわかりませんが、通常はこうやって演奏が続けられていきます。 こういうことが起きた時どうするか。 今回のオケのみならず、私が所属する小さな弦楽団でも、やはり何かしら準備や心づもりが必要だなあと痛感した次第です(凡人は自分が痛い目に遭わないとこういうことを実感できないのですよね!)。 


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2008年4月22日(水) [チャイコフスキー] (わんこそば)

  驚くべきことに、去年の「日記」は「年記」でした…なんという時の過ぎゆく速さでしょう。しかし驚いてばかりもいられません。驚いている間にも、時間は足早に去っていくのです(ああ、こんなことばっかり思いたくないですね!)

  今週の日曜日は、所属する西宮交響楽団の演奏会があります。 今回、メインはブラームスの交響曲第4番(4番がブラームスの最後の交響曲だと、つい3,4日前に知った私です)、サブメインはチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番です。
  チャイコフスキーの、この、ものすごーく有名な協奏曲、恥ずかしながら通して聴いたことがありませんでした。 いや、もしかすると一度はどこかの演奏会で聴いたはず…でもなんだか記憶があやふやです。 こういう、自分がオケで弾くとか言う状況になって初めて真剣に聴く体勢になるというのも大いに問題です。 音楽を純粋に聴くという姿勢がない。 せっぱ詰まってる。 ヴィオラのパートのところだけ必死で聴いてる。 これじゃいかん。

 しかし、例によって例の如くヴィオラのパートだけ聴こうと思ってCDを繰り返し聴き始めたのですが、どうもいけません。 途中でその目論みがまんまと外れて、はっと気がつくと曲に聴き入って、流されてる自分がいるのです。 今さら何をって言われそうですけど、本当に素晴らしく美しい曲なのですよ! 何というか、仕事や毎日の通勤で荒んだ心が癒される・洗われる・満たされる・・・・どっかへ行っちゃいそうになるのです。

 すごい印象的な冒頭(ピアノコンチェルトなのにいきなりピアノが伴奏?のような驚きがあります)に続き、次から次から魅力的な旋律が繰り出されてきます。 こんなにいろいろ聴かせてどうすんねん!って思う。 ああ、これもいいわ、でも次のもめっちゃきれい、まるでデパートの食器売り場でお気に入りのティーカップをいくつも見つけて、しかもどれも少々高くて全部買うのは無理で、見てるだけでも満足、でもやっぱりどれも欲しい、いったいどうしたらいいのか・・・わからなくなって、何も決断できず、泣きながらおうちに帰るみたいな(ちょっと、違うかな…)。
  この曲にまつわる超有名なエピソードを相棒に聞きました。 親友だったルビンシュタインというピアニストにこの曲を聴かせたが、こんな曲全然あかん、弾けるわけないやんけ、手直しせんかい、そしたら弾いたるわ、などと酷評されてブチ切れたと。 後にこの酷評は撤回されたそうですが、要するにこの曲は当時、それまでないような新しいもので、また同時に演奏困難だったということらしい。 チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲も、当初演奏困難と評されたそうです。 素晴らしい音楽は、いつもこのようにして生まれるものなのでしょうね。

  まあ、クラシックマニアであるところの相棒は、チャイコフスキーはなかなか自分の中のランク的には上位とはいかないらしい。 ベートーヴェン大好き人ですから何となくわかるけど。 …やたら派手だったり、即美しいと感じる旋律だったり、お涙頂戴だったり、文句無く弾んで楽しかったり、とにかく見るからに(聴くからに)キャッチーで・・・要はミーハーな感じがする、のかなあ。
 確かに、この曲やバレエの音楽とかを聴いていると、関西の超有名な某女性だけの歌劇団(実は余り嫌いじゃなかったりする)の雰囲気を彷彿とさせたりする。 楽章の終わりは常に美しい決めのポーズが似合う。 え、そんなん違うって? いやあ、ミーハーの言うことですから許してください。

 さて実際の間近な本番ですが、ピアニストの入魂の演奏に練習中から圧倒されっぱなしです。 ヴィオラの席からは若く美しいピアニストが真正面に見え、演奏に入り込んでいるその表情に魅了されます。 ただでさえおぼつかない伴奏が…さらに…とても危険です。 残念ながら本番の舞台では見えない位置になるのでしょう。 演奏会が終わったら絶対プログラムにサインしてもらおうとか、そんなことばっかり考えてる。

 この曲には、第1楽章と第3楽章の最後で弦とピアノが奏でる2つの雄大な旋律があります。違う旋律なんだけど、同じ3拍子のせいもあり、やはりどこか似ていて、ああ、色々あったけど最後はここに戻ってきたんだ、っていうような、何か大きな満足感のようなものを感じさせます。 やはり曲全体でも最後に「決め」の瞬間があるというか・・・すっきりさせてくれます。 この曲の良さを認められない人って、多分、素直じゃないです。 そこまで思ってしまいます。
  もしこの長ったらしい文章を最後まで読んで、最近、いろんなことで悩んでいたり、五月病とかなりそうなら、ぜひぜひ聴きにきて下さい! 「生」の演奏はやはり違います。 私が今感じている感動を味わい、この名曲中の名曲に酔いしれてほしいと思います。 

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