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音楽倉庫−感想編 音楽倉庫−感想編

曲名W.A.モーツァルト   ヴァイオリン協奏曲第3番 ト長調 K.216
感想
 曲がりなりにも楽器を弾く私にとって、モーツァルトは永遠の憧れです。 モーツァルトを弾くには、単に楽器の腕前がいいということ以外に、何か、あの天国から降ってくるような音楽を表現できる「何か」がないと・・・・そんなことを思う時があります。 そんな「何か」は確かにある。 プロの演奏家への賛辞として「モーツァルト弾き」という言葉が存在することからしても、あながちおかしな考えとは言えないのではないでしょうか。
 今回ヴィオ神戸で交響曲、Vn協奏曲のモーツァルトプログラムが実現したのは、私が所属する茨木アンサンブルのコンサートマスターTさんが、こちらで昨年ゲストコンサートマスターを努め、今年はソリストの大役を引き受けて下さったことが大きな原因の一つだと思います。 というのもTさんは、アマチュアでは滅多にお目に(お耳に?)かかれない「モーツァルト弾き」の音を持っておられる方だと思うのです(ちょっと褒めすぎかな?)。 ・・・もちろん腕前に加えてその柔和な人柄あってこそ、ですが。

 このところ、もはや梅雨入り?と疑いたくなるようなお天気が続き、演奏会当日も相当な悪天候。 ホールのあるJR新長田駅では、前方すぐに見えているホールまで行くにも激しい雨と風に翻弄されてしまうというような感じで、お客さんの入りも少々心配だったのですが、予想外にたくさんの方が演奏会を訪れてくださいました。

 今回の協奏曲第3番は、モーツァルトが1775年、19才・独身、まだウイーンに出る前のザルツブルグ在住時に作曲した3曲のうちの1曲。 はつらつとした雰囲気で始まる第1楽章の主題は、同じ年の春に作った祝典劇「イル・レ・パストーレ(羊飼の王様)」の曲の中からとられているそうです。
 以前、第5番のセカンドヴァイオリンを弾く機会があり、その時も思ったのですが、どちらも曲の終わりかたが非常にさりげない、というかあっけない。 3楽章は終始軽快なロンドが奏でられ、カデンツァもなし。 ソロヴァイオリンの短い問いかけにオーボエとファゴットがそろって応え、そこで演奏が唐突に終わる。 聴いている方が「え?これで終わったの?」と思い、楽しい夢からふっと目が覚めたような感覚に襲われる、そんな感じ。 この曲の最後の音符を五線に書き入れ、もう手直しの必要はない、これで完成、オーケー終わりだ、とモーツァルトがペンを置くシーンが目に浮かぶようです。
 相棒に言わせれば、これがモーツァルトが「天才」と言われる所以であるそうだが・・・・。 例えば相棒が熱愛するベートーヴェンのシンフォニーを聴いていると、終楽章のクライマックスはこれでもか、これでもかと言わんばかりに「ジャン!ジャン!ジャーン!」が延々続いたりして、曲が終わったあとも感動と余韻が体を震わせるのですよね。 とても対照的。

 で、やっと演奏の話。 1楽章と2楽章では最初の主題が再現された後にカデンツァが演奏されます。 1楽章のカデンツァは、Tさん若干緊張の面もちでしたが(これが一番難しかったし、上がった!とのことでした)、2楽章はすばらしい調べを聴かせて下さいました。
 当たり前ですが、カデンツァって伴奏はないんですよね。 あのホールの舞台の上で、お客さんと伴奏者がみな座って耳を傾ける中、たった一人で演奏するのってとてつもないプレッシャーだと思います。 ヴァイオリンの弓を弦に置いて音を出すまさにその瞬間、一体何を思い、何に語りかけているのかな。 或いは無心なのだろうか。 でもそんなことを探らずに、ただひたすら響きに耳を傾けているこの時間がずっと続けばいいのに、と、それだけを思いました。 伴奏している自分を忘れてしまいそうになった。
 客席にいた、演奏にはうるさい相棒も、客席がシーンと静まりかえり、舞台の上の伴奏者もじっと静かに座っている中、ソリストのヴァイオリンの音だけが響いていて、本当に美しかった、あっという間に終わってしまったけれど、いい時間を過ごしたよ、とご満悦でした。

 このコーナーでは一応自分の演奏について語るのが本来なのですが・・・・ふと気づくと一聴衆になってしまっていた、その瞬間を記録しておきたい気持ち。 ヴィオラはそんなに忙しくないし、常にソロを聴きながら、楽しみながら演奏できたということだけ書き留めておきます。(2004.5.18) 

演奏会の名称アンサンブルヴィオ神戸 第4回定期演奏会
弾いた日2004.5.16
弾いた場所神戸市立新長田勤労市民センター別館「ピフレホール」
他の演奏曲B.ブリテン  シンプルシンフォニー
W.A.モーツァルト  交響曲第40番 ト短調 K.550

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