| 曲名 | P.I.チャイコフスキー 交響曲第6番ロ短調 作品74「悲愴」 |
| 感想 |
とてつもなく感動したとき、また逆にどうしようもなく打ちのめされたとき、言葉って出なくなる。何も語れなくなる。 演奏会が終わって4,5日を経過した今、私の中でまだ醒めやらぬ「悲愴」への深い感慨は、何だかそんな感じなのです。
正直言って、年末に楽譜を渡されて練習を始めた頃は、この曲の練習から逃げたくて逃げたくてたまらなかった。元々シンフォニーってどんなものだ、という知識がないに等しい。 前回のブラームスはそれでも、スタイルとしてはオーソドックスで、気持の持って行きようという点においてはたやすかったと思うのです。 しかしこれまでの乏しい経験の中でひとつ得たことがあって、それは、とにかく少しずつでいいから練習をやめさえしなければ、時間が解決してくれる部分が必ずある、ということ。 その一点にすがりながら、後ろ向きモードの典型「テレビの2時間ドラマ(土曜日の午後に再放送でやっている西村京太郎の旅情ミステリーなんて最適です)見ながら練習」を続けつつ、ひたすら時が過ぎるのを待っていたわけです。
そんな私の気持を払拭したのは、今回の演奏会の客演指揮者、藏野雅彦先生のスーパー情熱的指導でした。 私を一気に「悲愴」の世界に引きずり込んで下さったような気がします。 この出会い(といっても私の方が一方的に出会っているんですけど!)は大きかった。 気がつくと4楽章の練習にのめり込んでいる自分の姿。 そういえば今年はチャイコフスキーの弦楽セレナーデで始まったのでした。 「悲愴」のあちこちに弦セレに通じるものが感じられ(なんとも言えない「いい」感じというか)、しかし弦セレには見いだすことのできなかった苦しさとでもいうようなものが、独特の和音の中から滲んでくる。 悲しく慈しみ深く荘厳で敬虔な雰囲気。 どんなに気持を込めても足りないような祈りにも似た感情があふれるこの楽章は、シンフォニーの終楽章に相応しくない、葬送の音楽のようですが、一番好きです。 突き詰めていけばこの曲は、人の生そのものみたい、なんて大げさなことを思ってしまいました。 だって人生って思うようにいかない。 いいことも悪いことも、いつも思いがけなくて。 そして生きている限り皮膚の下には血液が思いがけない速さで流れて、脈打っていて、時に熱くあふれ出て、必ずいつかは静かに息絶えていく。 そんな感じがします。 (2006.6.1)
|
| 演奏会の名称 | 西宮交響楽団 第89回 定期演奏会 |
| 弾いた日 | 2006.5.28 |
| 弾いた場所 | 西宮市民会館 アミティホール |
| 他の演奏曲 | W.A.モーツァルト 交響曲第38番 ニ長調「プラハ」 |